少しずつ、落ち着いてます。

こんばんは。
父の葬儀を終えて、水曜日は朝から金融機関等に手続き等で行ってきました。
きっと、落ち着くまでは、時間もかかるんだろうなと思います。
火曜日には、朝からの葬儀でしたが、父の好きだった詩吟もカセットレコーダーで流してもらい、父の肉声が残っていることは、これも貴重な思い出として、忘れないお見送りができました。
また、父の祭壇には沢山の生花で飾られて、来てくださった方々、父の人生のエピソード等も聞かせてくれた方、私の知らない父の存在もありました。
無事に父を見送る事も出来たけど、やはり喪主という立場、最後のお別れのボタンは、なかなか押せなかったです。
でも何十年ぶりかの我が家に父が来て、これからは見守る側として、母の事や、家族を見ていてほしいです。
父との思い出…私が子供の頃には、両親のことを、「とうちゃん、かあちゃん」と呼んでいたような気がします。
いつしか、私も子供が生まれてからは、「じいちゃん、ばあちゃん」と呼ぶようになり、父は初孫が生まれた時には、夜勤あがりにそのまま病院にかけつけてくれた事があります。
それが私の娘が初孫になりますが、息子が生まれてからは、月に一度はお地蔵様のおまいりで、一緒に行ってて、小さい頃はお地蔵様の所にある、お菓子の入った紙の箱で、紐がついていたものを買ってくれてました。
あれから何十年だろう…父が動けなくなり、両親が入院するまでは、母だけを連れて行ってました。
でも今となっては、もっと沢山お出かけしておけばよかったと思いますが、数年前には藤井フミヤのコンサートにも一緒に行き、両親とは離れた座席で私は見ていて、両親は2階席でした。
終わってからの合流で、私の額には紙飛行機が直撃した傷跡が出来た事もありました。
年々と父の足腰が弱り、外出も困難になってきて、泊まりは難しくなったけど、それでも父は杖をついて一生懸命歩いてました。
トイレも間に合わない事も回数が増えたりと、大変だったけど、やはり父がいたから母の献身的な支えで、昨年まで頑張れたはず。
これからは、私が支える側として、母を見守っていきます。
時には失敗や、わからない事もあるけど、母の作ってくれていたこんにゃくのきんぴらは、我が家の定番だったりと、また我が家に帰ってきた時には、作ってあげたいなぁ。
写真は、我が家にきた父と転院してからの母です。
母には、最近は差し入れも出来て、おかしなども持っていくと、今日も食べてました。
また母とのわずかな時間でも過ごせることは、主治医に感謝です。
少しでも母が元気になってくれることを信じて、これからは母に沢山会いにいきたいと思います。
ここ最近のおやつ、ポルボロンとフルーツグラタンです。
ポルボロンは、3回ポルボロンと唱えると、願いも叶うとか。
明日は、七夕の短冊を持って、母に書いてもらい、病院の笹に飾ってもらいます🎋

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