母との思い出。

おはようございます。
母が亡くなり、私の心の中はなんだかポッカリと穴があいたような感じですが、母との思い出は尽きないほどあります。
近場でのお出掛けや、電車に乗ってのお出掛け、時には親戚の方と合流してからの岩国や宮島など、父とも一緒に沢山色々なところに行ってました。
季節ごとに、楽しかったお花見🌸、さげもんも雪の降る中、見て歩き、足が痛いと言いつつも、沢山歩いてた母。
今では、すべてのことが、思い出となり、また行こうね言いながら、この一年は入院生活を過ごすこととなった母、たくましい生命力で弱音を見せなかった母は、本当に我慢強いところがありました。
コロナがまだ流行らない頃には、病室で一緒にお昼ご飯も母と一緒に食べたりと、私が作る卵焼きを美味しいと言って食べてました。
母から教わったこんにゃくのきんぴらは、我が家の定番となり、子供達も好きになり、簡単だけど母の作ることこんにゃくのきんぴらは、美味しかったな。
そして、昨年入院する前には、一緒に焼き鳥も作ったりと、昔の母は料理上手な母でした。
いつだったか、パン教室も一緒に通ったこともあり、私が幼稚園の頃に習っていた先生が、パン教室の先生で、いくつになっても、私はちゃんづけで呼ばれたことありました。
まだ信じれませんが、いつも自分よりも他人のことを、有線して考えていた母は、昭和を生きた証の鏡のようでした。
今でも私の記憶に残るのは、私が小学生の頃に、病気で安静にするように言われ、冬休みはずっと寝たきりだった頃、母が買って帰ってくれた、オレンジジュースと肉まん、美味しかったなぁ。
また、地元商店街でのガラポンで、お砂糖10キロを当ててしまい、たしかご近所さんに配ってました。
そんな母とは、電話でも喧嘩になった事もあったけど、翌日には何もなかったかのように普通に会話してくる母でしたが、今では何もしてあげることができなくなりましたが、今は父との時間を過ごしてるんだろうなぁ。
誰からも親しまれた母は、偉大な母だったように感じます。
これからは、ゆっくりと父や両親の元で、仲良く話しをしてね。
本当に感謝しかない母です。
やっと、会えた母は、とても小さくて、こんなに小さいのに、お米を背中に背負ってお米作りも長年頑張ってました。
今までありがとう。
これから、みんなを見守ってね。

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